1990年、筆者が小学6年生の時に卒業式を前に経験された出来事は、日教組(日本教職員組合)が特定の政治的・思想的意図を持って教育現場に深く介入していた実態を鮮明に示しています。
体育館のステージに飾られた、日本の国旗である日の丸を覆い隠すかのような巨大な絵、そして卒業式で歌われた「ケサラ」という歌の歌詞。これらは当時、日教組が「平和教育」や「人権教育」の名の下に進めていた活動の一端であり、特定の思想へと子どもたちを誘導しようとする意図がうかがえます。
さらに、筆者が通った小中学校で授業が成り立たず、学校が機能不全に陥っていたという状況は、日教組の活動が単なる思想教育にとどまらず、教育現場全体の混乱と質の低下にまで影響を及ぼしていた可能性を示唆しています。
これらの体験は、個人の思想形成に計り知れない影響を与えかねないものであり、教育者としての日教組の責任が厳しく問われるべき問題です。
日教組の具体的な活動とその背景にある問題
これらの出来事は、当時の日教組の活動の典型的な例と言えるでしょう。
1. 日の丸を隠す絵画の制作
ステージの日の丸を隠すように制作された巨大な絵は、単なる美術作品として捉えるべきではありません。これは、特定の政治的シンボルに対する抵抗や批判の意思表示と解釈することができます。当時の日教組は、国歌「君が代」や国旗「日の丸」を、戦前の軍国主義や国家主義と結びつけて批判的な立場を取っていました。
彼らは、これらを児童生徒に強制することは個人の思想・信条の自由を侵害し、子どもたちを国家主義的な価値観に染めるものだと主張していました。そのため、学校現場で日の丸の掲揚や君が代の斉唱を拒否したり、その意義を否定的に教えたりする動きが広範に見られました。
この絵の制作が、5年生に「その気にさせ、全校へ提案させて作らせた」という経緯を持つことは、教師が児童を思想的な目的に利用した可能性を強く示唆しています。子どもたちは純粋な気持ちで活動に取り組んだとしても、その裏に大人の政治的意図が隠されていたとすれば、これは教育の政治的中立性を著しく逸脱した行為であり、児童の健全な思想形成を阻害するものです。
幼い子どもたちが、特定の思想を表現する手段として利用されることは、彼らの思考力や判断力を育む機会を奪いかねません。
2. 卒業式での「ケサラ」の斉唱
卒業式で歌われた「ケサラ」の歌詞、「僕たちの人生は平和と自由を求めて生きてゆけばいいのさ」は、一見すると普遍的な価値を歌っているように思えます。しかし、日教組がこの歌を積極的に推奨した背景には、彼らの掲げる「平和と民主主義」の理念がありました。
彼らは、戦前の日本の過ちを繰り返さないために、平和主義と個人の自由を追求する教育が不可欠だと考えていました。しかし、その教育が特定の政治的立場やイデオロギーに偏っていたことが大きな問題です。
当時の日教組の「平和教育」は、往々にして日本の歴史認識、特に第二次世界大戦における日本の役割について、自虐的とも言える一方的な視点から教えられる傾向がありました。また、「自由」という名の下に、既存の国家体制や権威に対する批判的な態度を助長する側面も持ち合わせていました。
このような教育は、子どもたちに多角的な視点や批判的思考力を育むのではなく、教師の特定の思想を無批判に受け入れさせる可能性をはらんでいました。卒業という人生の節目において、このような偏ったメッセージを子どもたちに与えることは、彼らの世界観や価値観に深刻な影響を与えかねない行為でした。
3. 授業の崩壊と学校機能の不全
筆者が通った小中学校で授業が成り立たず、学校が崩壊していたという状況は、日教組の活動の負の側面を浮き彫りにします。
当時、日教組は「管理教育批判」や「子ども中心主義」を掲げ、画一的な教育からの脱却を訴えました。しかし、その主張が過度に進むことで、教師の指導力の低下、規律の欠如、ひいては学級崩壊や授業放棄といった事態を招くケースも散見されました。
一部の教員が、指導の放棄を「子どもの自主性を尊重する」と誤解したり、組合活動を優先して教育活動が疎かになったりした結果、本来行われるべき学習活動が保証されなかった可能性があります。
授業が成り立たない環境では、基礎学力の定着はもちろんのこと、社会性や規範意識の育成も困難になります。このような教育環境は、子どもたちの学習意欲を低下させ、将来の選択肢を狭めることにも繋がりかねません。
この学校の状況は、特定の思想教育の弊害だけでなく、教育の根幹である「学ぶ場」そのものが脅かされていたことを示しています。